INTERVIEW FOREGO PEOPLE #007

GRAPHIC DESIGNER KAZUKI SATO a.k.a AUI-AŌ Design

SCROLL

モノに温度を与えるデザインで人を、街を、時間をつないでいく。

グラフィックデザイナー AUI-AŌ Design(アウイ-アオ デザイン)佐藤一樹

紙相撲になるポチ袋、薬袋に見えるレターセット……、つくり出される商品すべてにデザイン的なひねりのきかせるAUI-AŌ Designのグラフィックデザイナー・佐藤一樹さん。そのデザインは活版印刷、地元・大磯の様々な作家とのコラボなど、人や文化、街とのつながりを深めて、さらにその幅を広げようとしている。その根底にある思考とは何か。そこから生まれるデザインはどこを目指すのか。

デザインを面白くするのは、“もうひとひねり”の思考。

例えば、可愛いイラストをレイアウトしたメッセージカードが、「いいね」と言われる。それはデザイナーの提案ではないと僕は思います。評価されたのは、イラストレーターさんのおかげです。だからこそ、デザイン的に“もうひとひねり”。それがなければデザイナーが存在する意味はない。デザイナーとして仕事を始めた頃、一緒に仕事をしていた友人がそういう部分で結構シビアだったんです。おかげで、それがデザインに対する考え方の土台になっていました。ただ、そう意識しても実現できない環境もあります。AUI-AŌ Designを始める前に、僕はあるデザイン事務所で毎月80本ぐらいの案件を抱えていた時期がありました。内容はイベント用のチラシ、レストランのメニュー、看板など。その状況で優先すべきは納期です。

クライアントの良さを引き出そうとひねる時間も、提案する余裕もありませんでした。そうなると、「あのクライアントさんはこういうデザインが好きだから」で終わらせてしまう。その日々はデザイン技術を学ぶいい機会でしたが、デザイナーとして大切なものを失う恐怖感が常にあったのも事実です。そんなときに、友人が海外企業から年間を通した大きな仕事を依頼されるチャンスが舞い込んできました。じっくりと“もうひとひねり”のデザインに取り組める。彼の誘いもあり、一緒に独立しようと決めました。ただ、事務所を構えたのは2011年3月1日だったんです。

まだ駆け出しのデザイナーだからこそ、毎月の新作が修業になる。

その10日後の3月11日、東日本大震災が起きました。その直後、僕らに仕事を依頼する予定だった海外企業が日本から撤退。その仕事を頼りにしていた僕らには、解散するしか道はありませんでした。地元である神奈川県大磯町に戻った僕がデザイナーとしてもう一度動き始めたきっかけは、奥さんのひと言でした。1、2カ月ふらふらしていた僕に、「大磯市に出店してみない? 面白そうだよ」。2010年から始まった大磯市。毎月第3日曜日に大磯の港でフードや雑貨など多彩なショップが並びます。現在は約180ブースありますが、当時はまだ40ブースほどでした。参加するなら、1からつくり出してみたい。そう考えて、ずっと携わってきた紙で雑貨をつくろうと決めました。
紙の切り出しから始めて、シルクスクリーンで印刷した5種類のレターセット。それが2011年6月、初めて大磯市に参加したときの商品です。

このとき、屋号が必要になり、AUI-AŌ Designが誕生しました。僕自身を全面に出したくなかったのが由来です。つまり、KAZUKI SATOの母音だけを残して、AUI-AŌ。まだ紙の雑貨が珍しかった時期で、商品に対する反応はとても良かったですね。それから毎月新作を持って、大磯市に出店しています。
ただ、新作のアイデアが浮かぶまでは、別の仕事をしているときでも頭の片隅で「どうしよう、どうしよう」と考えています。昔のスケッチを引っ張り出して眺めたり、紙の見本帳を触ったり。毎回、何とかひねり出して、現在のアイテム数は200種類を越えました。そんな毎月新作をつくる作業は、苦しみながらも達成感を味わえるいい修業だと思っています。

新たなつながりを生み出した活版印刷。ただ、本番はこれからである。

デザインの要素は、ビジュアルと文字。僕はそう考えています。だから、文字に対して興味があり、その過程で活版印刷を知りました。この方法だったら、個人でも印刷できる。大磯市に初参加した半年後に印刷機を購入。さらに必要な道具を揃えようと活字屋さんを転々としていく中でほかのデザイナーさんや活発印刷屋さんに出会う機会があり、「今度、こういうイベントをやるんだけど」と誘われるようになっていました。
大磯市では出店する度に、隣のブースの人と仲良くなり、活版印刷の業界でも人脈が広がっていく。あるとき、震災前に一緒に独立した友人から連絡がありました。「活版をやっているんでしょ」と。震災後、地元・大阪に戻った彼には活版印刷のことを話していなかったんです。活版を始めたことで、大阪までAUI-AŌ Designが届いているのがわかったときはうれしかったですね。

このまましっかり活版印刷をやっていけば、AUI-AŌ Designはもっと広がっていく。それからです、本格的に活版印刷を使った商品をつくるようになったのは。
ただ、活版印刷はあくまでも一つの表現手法だと僕は考えています。クライアントに合う形でデザイン手法も印刷の方法も変えていくのがAUI-AŌ Designのスタイルですから。しかも、活版業界にあったブームのような空気は終わり始めています。おかげで、活版という表現は浸透したと思いますが。これからは、どうやって活版印刷を暮らしの中で生きる形に落とし込むか。その答えを導き出すのが、活版を生かすデザイナーの役割だと思います。

あくまでもデザイナーという立場から、“大磯の街を面白く、楽しくする。

これからのAUI-AŌ Designの基本は変わりません。大磯市で新作を発表しながらアイテム数を増やしていきます。同時に、大磯市に参加するいろんな作家さんとのネットワークを広げていきたいですね。そのセレクトショップとして起ち上げた『つきやまArts&Crafts』には、現在30名の作家が商品を展示しています。さらに離れのギャラリー兼茶室『GALLERYお風呂場』では2週間毎に、大磯以外の作家さんも展示できるようになっています。
様々な素材を使う作家さんとの出会いはデザイナーとしての僕に新たなアイデアを与えてくれますね。例えば、あるカフェの看板を依頼されて古い建具が素材に使えると考えたとき、大磯に工房がある木工作家さんとコラボすることで、その仕事を面白い形で請け負うことができます。パタンナー志望だった僕の奥さんがこれからAUI-AŌ Design内に起ち上げる洋服のブランド『福月洋装店』であれば、陶器の作家さんがつくったボタンと服を合わせることもできるはずです。

また、『made in OISO』という仮想ブランドも進行しています。大磯在住、あるいは大磯のモノを素材に使う作家さんの商品をサイトに登録してもらって、こちらからは商品に貼る『made in OISO』のシールを無償提供する。「これは大磯産です」という品質管理はもちろん、大磯という街を広げていくきっかけになると思っています。 ただ、僕の役割はあくまでもデザインです。大磯という街を面白くする、楽しくするために雇われたデザイナーというか。一つだけほかと異なるところは、僕、つまりAUI-AŌ Designの周りにはデザイナーにとってのカメラマン、イラストレーター、ライターと同様に作家さんがいるということです。それが僕のデザインを“もうひとひねり”するのに欠かせない存在になっています。

WORKS

PROFILE

グラフィックデザイナー AUI-AŌ Design(アウイ-アオ デザイン)佐藤一樹

1978年生まれ。長岡造形大環境デザイン学科卒業。イラストレーター、グラフィック・デザイナーとして実績を積み、2011年6月の大磯市に初参加したのをきっかけにAUI-AŌ Designを設立。以降、毎月の大磯市で新作を発表すると同時に、活版印刷を取り入れたり、様々な作家とのネットワークを構築しながら、大磯在住の作家の商品を扱うセレクトショップ『つきやまArts&Crafts』、ギャラリー兼茶室『GALLERYお風呂場』の運営にも携わっている。

[AUI-AŌ Design] http://www.aui-ao.jp/

INTERVIEW & WRITING
KOJI ARAIKAWA
PHOTOGRAPHY
SHIN-ICHI YOKOYAMA
FRONT-END
QLOT.INC
http://qlot.co.jp

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