INTERVIEW PRIMART JOUNAL #10

INTERVIEW PRIMART JOUNAL #10

INTERVIEW PRIMART JOUNAL #10

ILLUSTRATOR REIKO TADA

SCROLL

着ぐるみ、ガールズパンクバンド、イラストレーション。キュートでとぼけた感性から溢れ出るカラフルなイマジネーションの連鎖が観る側の感受性を新たな舞台にアップデートする

コミュニケーションの在り様を逆説的に示唆する着ぐるみプロジェクト。
「1回限り」のはずが国内外で注目される存在になっていった2人組ガールズパンクバンドKiiiiiii。
過去のプロジェクトが集約され、作風や表現の幅を広げていく
イラストレーションをはじめとするアートワーク。
表現の形を変え今にいたるその過程で、
自分という器を強く、太く、頼りがいのあるものにしてきたように見える多田玲子の、
これまでの試行錯誤、軽やかな決断、進化する通過点。
その先には何があるのかを探ってみた。

01 顔を隠すことで、気持ちがオープンになれる存在。大学時代の着ぐるみプロジェクトから今につながる作品づくりははじまっていた

PAST

大学の彫刻科で作っていた着ぐるみ。頭の部分を被って顔を隠すといろんなことができていいなあと思いました。よく知らない人でも抱き締められたり、相性が合わない人とも仲良いふりができたり。自分をクローズしているのに、オープンになれる。多分、そこが自分に合うと思ったんでしょうね。ただ、動物の着ぐるみを作っていましたが、仕上がりは謎のキャラクターになることがほとんどでした。ナマケモノの着ぐるみを作ったつもりでも、「ナマケモノに見えない。宇宙人だ」とか。実際のナマケモノは体が細く、手が長くて、顔は小さい。でも、縮尺を人間に当てはめて作ると、体は太くて、手は短くて、頭はでっかいナマケモノになってしまう。しかも、着ぐるみはどんなキャラクターでも二足歩行。そして、できあがるのは、かなりUMA(未確認動物)寄りの動物になる。でも、そういう着ぐるみを面白がっていた部分もありました。

NOW

そんな着ぐるみのプロジェクトをそろそろやめようかなと思ったのは、着ぐるみの収納に困り始めてからです。もちろん、石の彫刻作品と比べたらコンパクトになります。しかも、石の彫刻に使う岩は1つで何十万円。着ぐるみは1万円で十分。だから、彫刻科で着ぐるみを作る私は親を泣かせないタイプだと思っていたんですが、8体ぐらい作ったところで親からのクレームが……。「部屋が着ぐるみでいっぱいになるよ」と。
その頃に始まったのが、二人組のガールズ パンクバンドKiiiiiii*1の活動でした。

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02 観客の感受性を揺さぶり続けた歌とリズムだけの2ピースガールズパンクバンド「Kiiiiiii」

Kiiiiiiiのヴォーカル、U.T.になる(田山)雅楽子さんが「一緒に紙芝居をやろうよ」と言って、私を誘ったのがKiiiiiiiを結成するきっかけでした。
雅楽子さんが所属している劇団(鉄割アルバトロスケット)でわりと何をやっても良いイベントみたいなものをやることになって、私が絵を描いて、雅楽子が読むというのをやろうと。その後に日本語ラップをやろうと話に変わったのですが頓挫して(笑)。どうしようかな〜と思ってる間にその日が来そうだったので、だったら、別のバンドで歌っていた雅楽子さんと中学時代からドラムをやっていた私でバンドにしようと。演奏するのは、当時の私が集めていた世界の子供番組のCDやDVDの音楽のカバーでした。何を言っているのかわからない曲を歌とドラムだけで演奏する。アフリカ音楽にはタイコと歌だけのものもあるけど、それでも十分かっこいいし、面白いんじゃないかなと。

それとふたりともアメリカのドラマ「フルハウス」が好きだったので、それに登場するティーンの女のコ2人「DJ」と「キミー」がバンド組んだぞって言う設定でやろうと。私達もアメリカのティーンだから日本語は一切しゃべらないことにしました。ピンクやミントのカラフルな古着のTシャツを着て、メイクは80’s。そしてバンドやるならやっぱり変なニックネームがあったほうが良いということになって、雅楽子さんはU.T.、私はLakin’と名乗ることにしました。音がスカスカだから、舞台の飾り付けはハデにして、アメリカの高校生の部屋みたいにしました。それでもやっぱり音のスカスカが気になるので(笑)、U.Tには大暴れして絶叫してもらいました。
最初のライブは青山のクラブで5、6曲。男子は全員ドン引きでしたが、友達で二人組の料理ユニット・南風食堂の三原さんと小岩さんから「Kiiiiiii、めっちゃ良かった。絶対、続けたほうがいい」と興奮しながら言われたのを覚えています。私たち二人もなんか楽しかった!という手応えがありました。

だったら、1回限りのつもりだったけど続けてみようかと。ただ、Kiiiiiiiは音数が少ないので、雅楽子さんの動きの面白さや可愛さと音感の良さでギリギリ成立していたバンドでした。観ている人の感受性によっては何をやっているのか全然わからない。想像力があれば、その隙間を埋めて楽しんでくれる。音楽をよく聞いてる人ほど「これは何かの引用でしょ、絶対!」と想像して楽しんでくれてました。そうしている間に、音楽事務所から声をかけられて、同時に、イラストの仕事も増え始めました。

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03 ミュージシャン、デザイナー、イラストレーター。三足の草鞋で世界を駆け抜けた先に独立の道が開く

Kiiiiiiiの活動を続ける時にホームページを作って、楽曲だけではなく私の絵もアップしたのがイラストの仕事につながりました。
入って来た仕事はほぼ音楽関係のものばかりでイベントのフライヤーやCDジャケット、フェスグッズ,他のアーティストのグッズのイラストでした。当時は所属した事務所でデザイナーの仕事もしていたので、イラストレーター、デザイナー、そしてミュージシャンと三足の草鞋を履いていました。
その頃、CDが売れない時代になってきていて音楽業界は変化のときでした。それと、事務所にいてマネージャーさんがついても、意外と他の人はなにもしてくれないっていうのも薄々わかってきて。Kiiiiiiiの活動は自分たちでどうにかしないといけないと思い始めていました。それでまずは、ずっとKiiiiiiiのことを手伝ってくれていた、友達のDJ Codomoくんと一緒にアルバムを制作。引用が多かったので「あー、著作権って面倒臭い!」と言いながら何とか形にしたのが2007年。その年は「SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)*2」やヨーロッパツアーにも行って、激動の一年でした。

日本語を話さないKiiiiiiiは、ホームページのアクセスが国内よりも海外が多かったんです。
SXSWには音源を送ってオーディションで選ばれて、「だったら、アメリカツアーを」と知り合いを辿って7カ所でライブをブッキング。ポートランド、ワシントンD.C.、テキサス、ニューヨーク、一番手応えがあったし自分たちも楽しかったのは人種のるつぼ、ニューヨークでしたね。
日本に戻って、アルバム発表のタイミングで渋谷クアトロでライブをして、そのころにパリのフェスに招待されて、そのレーベルのバンドと一緒にヨーロッパツアーに回ることになりました。「こういうツアーに行きたかったんだ〜!」と盛り上がったところで、雅楽子さんの妊娠が発覚。何とかツアーは乗り越えましたが、ここでKiiiiiiiの活動は一旦休止に。
ただ、その頃の私はイラストの仕事でどんどん忙しくなっていました。事務所でデザイナーとして働くのも週5だったのが「週4でいいですか?」「週3でいいですか?」「週2でもいいですか?」になって、最終的には週1に。そうして辞めてみると、バイトをしなくてもイラストの仕事で食べられる状態になっていました。

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04 どんなモチーフも自分寄りで描き続けて「ダサくても気持ちが伝わるほうがいいだろ」と

イラストの仕事を始めた頃は、やりたいことだけやる感覚が強かったです。だから、頼まれて描くのは苦手だと思っていました。「このイラストは私に頼まなくてもいいじゃん」と。でも、私が好きな安西水丸さんや和田誠さんはいろんなモチーフを自分らしく描けるなあとある日思って。何を描いてもちゃんとその人の絵になっている。デザイン性が高くてかっこいいし、らしくて好きな絵に見える。どんなモチーフでもTシャツにプリントして大丈夫。私もそっちになろうと決めました。
それからですね、何でも自分寄りに描くことを忘れないようにしたのは。その時からイラストの仕事が楽しくなりました。

もちろん、「シンプルで幾何学的な白い家から卵が出て来る絵をパステルタッチで描いて下さい」とか「なんでわたしに頼んだ?!」というような依頼もあります。でも、それは自分が何者なのか知られていないからなんですよね。だから、「私はこういうのが出来ます。こういうのは苦手です」と伝えることを終始徹底しています。イラストの仕事を始めた頃は、キャラクターが真っ黒な影絵でドローイング、落書き、殴り書きと言っていい作風でした。しかも、目が真っ白。
ここ何年かで、意識して黒目を入れるようになりました。わたしが個人的に描いてる漫画『ちいさいアボカド日記』のアボカドくんも目が入ってます。以前は、その黒目がダサいと思っていたんです。でも、今はダサいのもOKだなと。ダサくても気持ちが伝わるほうがいい。ちょっと諦めがついたのかも(笑)。多分、私の根っこはダサいんです。元の姿に戻ったというか、「ダサくてもいいだろ」とオープンになったんでしょうね。

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05 ずっと描きたいと思い続けているのは「漫画」。その先にあるのは人柄込みで好かれるイラストレーター

雰囲気がいい落書きみたいな絵が得意なんですけど、そういう絵は一旦天袋に締まっておいて、ストーリーがあるというか、背景を感じられるものとして描いていきたいです。ずっと物語を描きたいと思っているので。漫画ですね。でも、漫画は本当に難しい。漫画的な絵が本当に下手なんです。物語に風景は欠かせないじゃないですか。アボカドくんが海に行けば、海の絵を描かないといけない。物語が海を舞台に続く限り、何度も海を描くことになります。それに耐えられなくて、早く海から出したくなるんです。どれだけ簡単に省略して風景や小道具を描けるかいつも考えてます。絵を描くのが好きじゃない人みたいですけど、省略を考えるのも楽しいんです。でも時々家具とか台所とか描くのが苦痛で……。それでも、漫画を描き続けたいんですよね。というよりも、今はまだ描いているうちに入らないと思っています。書籍で言えば、まだ0章。次に描き上げたものが人生の1章かなあと思います。

今の私の肩書きはイラストレーターなんですけど、徐々に漫画を増やして、イラストレーターと漫画家として生活しようと思ってます。私のイラストのアイドル、というか憧れは、安西水丸さんと和田誠さん、それとフジモトマサルさんなんです。みなさんイラストも漫画も描かれて、エッセイも面白い。もちろんお3方は博識で、絵も最高のみなさんなので、その境地に辿り着けるのか道のりは遠く、遥かかなたに霞んでるんですけど、3人のように人柄まるごとで好かれるイラストレーターになりたいです。そのためにもいつも感受性を豊かにできるように心がけ、そして内面をもっと出したほうがいいんだろうなと考えているところです。基本的にあまのじゃくで恥ずかしがり屋だから「こんなん描いたら自慢に見えてしまうのでは」とか、肝心のタイミングで躊躇しちゃうんですけど、もっと自分の生活を出していくような漫画も描いていく実験がしたいです。だから、2018年は仕事を控えめにしながら、描きかけている数本の漫画を仕上げようと思います。あと絵本も描きます。
夢を実現する時間に入り込んで、しっかり決着をつけたいです。

*1 Kiiiiiii(キー)
ヴォーカルのU.T.(田山雅楽子)、ドラムのLakin'(多田玲子)による、子供番組、80's、パンク、西海岸ガールズカルチャー等、多様なスタイルを渾然一体にミックスした2ピースパンクガールズバンド。2008年1st アルバム「Al&Bum」、1st DVD 「GOLD & SILVER」を発表。
国内全国でのライブツアーをはじめ、「SXSW2007」への出演を皮切りに、カリフォルニア、オレゴン、ワシントン、ニューヨークでのUSツアー、フランス、ベルギー、オランダでのヨーロッパツアーを展開。現在は活動休止中。
*2 SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)
毎年3月にアメリカ合衆国テキサス州オースティンで行なわれる、音楽祭・映画祭・インタラクティブフェスティバルなどを組み合わせた大規模イベント。
近年では日本でも、真鍋大度とMIKIKOが演出したPERFUMEや、水曜日のカンパネラの出演で知られる。

WORKS

PROFILE

REIKO TADA多田 玲子

1976年生まれ、多摩美術大学美術学部彫刻科卒業。2002年に幼なじみの田山雅楽子と、ガールズパンクユニット「Kiiiiiii」を結成。ドラム、作詞作曲、アートワーク、グッズなどを自ら手がけ、2007年にはアメリカ・ヨーロッパでツアー。同時にイラストレーターとしての活動もスタート。スーパーバタードッグ、コトリンゴ、アルファのCDジャケットをはじめ、多数の雑誌・書籍・広告などにイラストを提供。「ただいまおかえりなさい」「八百八百日記」(いずれも戌井昭人と共著)「ちいさいアボカド日記」なども著作もあり、2017年にはNHKみんなのうた「うんだらか うだすぽん」のアニメ・イラストレーション、絵本「うんだらか うだすぽん」の絵を担当している。

OFFICIAL SITE
http://www.tadareiko.com/
取材協力:
SUNNY BOY BOOKS
http://www.sunnyboybooks.jp
INTERVIEW&WRITING
KOJI ARAIKAWA
PHOTOGRAPH
SHIN-ICHI YOKOYAMA
FRONT-END
QLOT.INC
EDIT,ART DIRECTION,DESIGN
TSUTOMU MARUSHIMA
EDITOR’S NOTE